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塾長であり旧友である今村駿斗

門野坂です。


塾長・今村駿斗とは

中学からの付き合いになります。


彼は「気づく力」がとても高い人です。

生徒の気持ちはもちろん、僕に余裕があるかないかもすぐに見極めて来ます。

正直「本当にすごいな…」と感心しています。


今回は、僕が今まで見てきた今村駿斗像長々と描き出して分析してみました!

ぜひ,皆さんにも塾長・今村の輪郭を掴んでいただければと思います。


◆中学時代

中学時代、僕が今村と出会ったときの印象は「孤高の天才」という印象でした。

サッカーとピアノに長け、下級生でも彼を知っている人は多かったです。



1000人近いマンモス校ではありましたが、合唱コンクールでは中1から3年連続で最優秀伴奏者賞を受賞。超目立っていましたね笑



サッカー部ではエースナンバーの10番をつけ、ボランチのポジションを務めていました。同時に、遠征の時には電車の中で1人端っこに座って黙っているような人でもありました。


中学時代の今村に対して、1番印象に残っているエピソードとしては「引退試合の前日に、サッカー部の顧問にケンカを売った」話がありますね。


大事な試合前日の朝練。気合いが入っていない3年生の態度を見かねた顧問が「3年!全員外周に行ってこい‼︎」と、練習途中で反省のランニングを指示したんです。


渋々ながらも中3全員が500m外周の終え、練習が再開されました。その練習終わりのミーティングで、今村が「なんで、走る必要があったんですか?」と顧問と口論を始めたんです。


…とんでもない雰囲気でしたね。顧問と今村の議論を全員が見守るしかないという状況でした。次の日の試合に勝てたから事なきを得たようなもので、チーム全体に流れる空気は非常に悪かったです。


似たようなことは高校時代にもありました。次は、今村駿斗の高校編をお届けします。


◆高校時代

奇遇なことに、今村とは同じ高校した。正直、今村先輩は手が届かない存在だと思っていたので、同じ高校だと判明したときには嬉しかったものです。


再開は1年生の部活動勧誘でした。僕はサッカー部に入りたかったのですが、チラシを配っている先輩たちの中にサッカー部らしき集団だけが見当たらず、あたりをキョロキョロと見回していました。


すると、遠くで黒と赤のジャージを来て、部活動勧誘を見物している集団を発見しました。白文字で名前が入っていたので,よく見ると「IMAMURA」が刻まれていたのです!顔を見てさらに確信は深まりました。あの今村先輩だったのです。


「こんにちは。おひさしぶりです。門野坂です。サッカー部に入りたいのですが」と挨拶しに行った今村先輩は気まずそうに1枚のチラシを渡してそそくさと行ってしまいました。


そのチラシは「演劇部」のものだったので僕はパニックでした。「…もしや、今村先輩はもうサッカーをやっていないのか⁉︎」といろいろと考えたものです。


当時、僕らの進学した高校は、サッカー部がそれなりに強い中堅校でした。サッカー部へ憧れる生徒は多く、仮入部には1学年40人以上が参加しますが、2週間もすると人数は半減します。


軍隊式で超タテ社会な厳しい部活だからです。(今はそんなことないそうです!)

仮入部期間は、筋トレ・挨拶・走り・雑用だけで根性を試されます。そんな部活ですから、当然、勧誘は一切しません。今村先輩はテキトーな演劇部のチラシを渡してきたのだとすぐに納得しました。


3年生は神様 と同じ存在ですから、気軽に話しかけることは許されません。ですが、同じ中学校の後輩である僕を、今村さんはめちゃくちゃ可愛がってくれました。

行き帰りのバスで話したり、LINEをくれたり、一緒に横浜にラーメンを食べに行ったりと、サッカー部の中では異例の関係性でした。


そんな今村ですが、またも試合の前日にケンカをふっかけます。大事な引退試合の前日、僕らは調整のために芝生のグラウンドで練習をしていました。


守備をする際に、今村が後ろからスライディングをしてファウルを取られます。審判である顧問は「試合の前日なんだから考えろ!」と今村を注意します。


しかし,そんなことで大人しく頷く今村ではありません「試合の前日に、必死にプレーして何が悪いんですか」と反論します。デジャヴでしょうか。僕の頭には3年前の記憶が蘇ります。次の日の試合に勝てたから良かったものの、全くやれやれという感じです。


中高時代の僕には、今村の言動は理解ができませんでした。僕は角を立てず、周りとは上手くやる方でしたから。

その後、今村がどうしたかは知らずに月日が流れていきました。


◆バイト先での再開

大学時代、僕は日本ではあまりにも有名な遊園地でアルバイトをしていました。夢の国と呼ばれるその場所では,小舟を漕いで、イタリアの街を観光案内しながら唄を歌う業務を担っていました。


僕自身が見習いを卒業して1カ月が経った4月のある日、新人として1人の青年が紹介されました。色白で少し太っていたのでその時は気づかなかったのですが、ネームプレートには「IMAMURA」の文字。その通り! かの今村と,意図せずまたも再開したのです。


仕事中にはタイミングが合わず,なかなか話しかけることができなかったのですが,最寄り駅へと向かう信号待ちの今村さんを発見したので,思い切って挨拶をしてみました。

「…なんでおまえがいるんだよ!」と言われたのをよく覚えています。

笑いながらでしたが,この人ほんとうに嫌がっていると思いました。


思えばたしかに,今村さんが愛想よく笑顔を振りまいている姿などついぞ見たことがありません。どうして,遊園地のキャストなどを務めようと思ったのか。当時の僕には,謎として残ります。


その理由は意外と単純でした。青年・今村駿斗(当時21歳)は,自分の生き方に悩み,何かきっかけを探していたのです。今村の妹さんが,その遊園地が大好きだったこともあり,心機一転,接客という新しいことへの挑戦を決意したところだったのです。


たしかに嫌ですよね。今までの自分を変えようとしている中で,今までの自分をよく知っている僕と再会するなんて。

しかも,その遊園地には70以上もアトラクションがあるのに,よりによって同じアトラクション…。

運命とも悲運とも言える,2度目の再開となります。


僕らのアトラクションは人力の舟です。下にレールはなく,本当に人力で漕ぎます!

普通にスポーツなのですが,流石の今村。センスの良さを発揮してメキメキと成長していきます。接客もなかなかサマになってきました(笑)。


ですが,人の本質は変わらないものですね。今村くん,要領よくアトラクションの勝手を学んでいくと,今度は上司に提案をするようになっていったのです。立場をわきまえない今村の態度を、あまりよく思わない先輩方も多くいました。当時の僕は「この人は本当に変わらないな」と思い、理解できなかった部分もあります。


それでもずっと、”何か面白い人だ”と感じていました。そこで、かねてから行きたいと思っていたベトナムへのバックパックに誘ってみました。


9泊11日、泊まる場所も明日の予定も決まっていないベトナム旅行は、若いからこそ出来る刺激的な経験でした。ベトナムにいても,付き合いたての彼女と毎晩電話しちゃうあたり、今村だって普通の人間なんだと実感する時間でもありました。


◆塾業への転機

さて、大学生活を過ごしていたある日,「塾講師のアルバイトをしないか」という誘いが来ました。当時,忙しかった僕は断ってしまったのですが,代わりを務められそうな者がいれば紹介してほしいと頼まれたのです。


そこで,紹介したのが今村だったのです。この時は,まさかアルバイトを紹介する立場の僕が,今村に雇われるなどとは露程にも思っていませんでした。今村は,モノを教えることが性に合っていたようで,バイトが始まった当初,塾でのいろいろな出来事を楽しそうに語る姿が印象的でした。


この後にも,互いに教育系に関わっていたので,僕らの交流は続いていきます。結果的に,彼は起業して独立し,僕は彼に雇われるという形になったのです。




◆今村の人生を見ていて

ここまで書かせていただいた通り,今村とは本当に長い関わりで,様々な場所での今村の振る舞いを見てきました。どこでもギラギラと吠え続け,周囲から理解されないことも多い今村だったのですが,なぜ「心の機微に気づく天才」なのでしょうか。


最近になって,ようやくその理由が分かってきました。


今村はなにも,周りの人間が嫌いで,他者を排除してきた人ではなかったのです。彼は,極めて繊細な人間です。悩みごとがあると,すぐに不眠症気味になってしまうような性格です。自分が意見することで周りから煙たがられ,それに気づいて多いに寂しい思いをしてきたはずです。


むしろ,昔から色々なことに気づきすぎてしまって,その事実を追求しないと気が済まなかったのだと思います。誰よりも多くの物事に気が付く感性を持ち合わせ,本質を探究するうえで他者から理解されず,誰よりも自分が深く傷つくような生き方をしてきた人です。


僕自身,詩人の茨木のり子さんが好きなのですが,今村にも類似するところがあると思います。詩人ですから,類まれな感性を持っているのは当然のこと,茨木のり子さんの詩は,それでいて一本の芯がスッと通っています。美しいだけでは済まされない,背筋を正してくれるような力強さがそこにはあるのです。


今村は,人間を対象にしている詩人です。川崎学舎での彼は厳しいことも,結構言います。でもそれは,一人一人の気持ちを分かっている,いや,分かりすぎているからこその態度なのです。学舎に通ってくださった方々の多くは,そういった今村の「人間力」をひしひしと実感していると思います。


「人の心に気がつく天才」である今村の感性を,僕は信じています。

彼の創り出す世界に,あまりにも大きな期待を寄せているのです。


門野坂

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